インコグニート インタビュー

インコグニート インタビュー(INCOGNITO)/Jean Paul 'Bluey' Maunick interview
Interview & Text by jun ide
取材協力:Iori Ono, Miho Harasawa @ Blue Note Tokyo

●RECENT WORKS
最新作Adventures In Black Sunshineをリリースしましたが、
コンセプトについて教えて下さい?


そもそもこのアルバム自体のコンセプトは、インコグニート25周年の 集大成と言った意味合いがある。 この25年の間、僕らは10作のスタジオアルバムを創った。その 10作のアルバムは、スティービー・ワンダーとかの影響が色濃く 入っているものから、ディアンジェロのコンサートからインスピレーションを 受けたものなど、僕自身が音楽ファンだから、他の色んな人から影響を 受けているんだ。その中でも、自分自身の音作りを試みていて、新しい 発見もあったんだ。”インコグニート”として、25年からなる音楽活動の中で、 このアルバム自体は”インコグニート”から影響を受けて出来上がったものでも あるんだ。この中であなたが聴くものは、多くのインコグニート色の強いもの、 ダンスしたくなるような曲、ソウルフルな曲、ファンキーな曲とか色々とあるけど、 このアルバムに収録されている曲は、全て新しい曲なんだ。 このアルバムを通してやりたかった事は、全く新しい素材をベースに、 聴く人にとって親しみが沸くようなアルバムにしたかったんだ。 誰も聴いた事のない、インコグニートのグレーテストヒッツみたいなものなんだ。(笑) 余談だけど、”アドベンチャース・イン・ブラック・サンシャイン”のジャケットには、 僕がアルバムジャケットの撮影用に、$10で買った安物のギター が写っているんだけど、以来すごく気に入って色々な事に使うようになった。(笑)

 

●今作で、インコグニートを語る上で、欠かす事の出来ないレジェンド ディーバである、メイサ・リークが久々にカムバックして来ましたが、 どんな意図があって、彼女と再び活動する事になったのでしょうか?

インコグニートでは、色んな人々が出たり入ったりして、 今まで1500人ものミュージシャンとの関わりあいがあった。 現在も新しいメンバーと一緒にツアー活動をしている。 だけど、インコグニートの25周年アニバーサリー・セレブレーションは、 彼女を抜きには創る事は出来ないよ。我々にとって、一番重要な箇所を 担っていたからね。メイサの声は、沢山のファンとの間に、独特なコネクションを 造り上げて行った。それだけの理由からだけじゃなく、彼女の気軽なコミュニケーションで、 すごくファンとの間に良い関係を築く事が出来たんだ。 メイサ自身が、インコグニートとしての信念をファンへ伝えてくれていたからなんだ。 彼女のソウルフルなトランスフォーメーションで、インコグニートの曲を インプルーブさせてゆくんだ。メイサなりにアイディアを具現化して、 常により良いものに仕上げる事ができるんだ。

●どんなキッカケで長年在籍したレーベル“Talkin Loud"を離れ、
自身のレ−ベルである、"Rice Records"を設立したんでしょうか?


そもそも自分が音楽と恋に落ちて以来、ずっと情熱を持って音楽に 向き合ってきた。世界中を旅しながら音楽をプレイする事が僕の人生の全てだと思っている。僕がミュージシャンから、コンポーザー、そして プロデューサー、A&R、そしてレーベルのボスへと進化し続けて行く中で、 そのプログレスは、すごく自然なステップだと思う。それに僕はバンドリーダーでも あって、、僕が沢山の考え方の中から感じる事は、 僕ら以前に活躍していたような 人々に対するリスペクトなんだ。例えば、クインシー・ジョーンズとかを、すごく 尊敬している。僕らは同じような、ミュージシャンとしての、キャリアパスを通って来ている。 彼自身の究極の目標、自身のレーベルだった”クエスト”があって、僕自身も、 彼の成功を、見習って行きたいと思った。僕のレーベルを通して、自分のキャリアを更に 磨きをかけて行きたいんだ。僕達は宇宙レベルで見た時、すごく短い間しか地球上に尋ねて来て いないんだ。僕達の存在が消えて無くなってしまう前に、自分達の音楽を、人間との関わり合い を通して、レガシーを創って、未来に向けて何かを創り出して行きたい。そして子供達に 何かを残してあげたいんだ。

Music influence
●もともとは、モーリシャス共和国出身で、10才まで過ごしたそうですが、ご自身の アイディンティティーや、その土地から何か音楽的な影響を受けたんでしょうか?

僕が子供の頃に良く聴いたのは”セガ”という音楽で、モーリシャス島のビーチとかで ダンスをしながら聴いていた。この音楽にはアフリカン的なルーツのもがあって、すごく 親しみ易かった。 そもそも、アフリカの音楽がアメリカに渡ったら、ジャズ〜ソウルに変化して、 ブラジルに渡ったらサンバ〜ボサノバになり、ジャマイカに行ったら、レゲエになってて、 アフリカにルーツをもつ音楽は、世界中に至る所で変化しても、音楽的にどこか共通するものがあった。 アルバム・タイトルの”ブラック・サンシャイン”というのが、それを表しているんだ。 当時、僕が7才だった頃、”007/ジェームス・ボンド・テーマ”を友達のギターで 繰り返し遊びながら弾いていた。自分のギターを持って無かったから、最初のギターを 自分で靴箱と木の破片を利用して作っちゃったんだ。(笑) そして、ロンドンへ移住してからすぐに、特に良く聴いたのが、ジミー・ヘンドリクスだった。 たしか、僕が10、11才くらいの頃だったと思うよ。当時は、本当に沢山のロックに ハマった時期でもあったけど、スティービー・ワンダーや、レイ・チャールズなんかを 耳で捕らえて以来、だんだんソウルミュージックへ、惹き付けられるようになっていったんだ。 その音楽の中に何か自分の中に、既に存在するような感覚になったんだ。

●Early stage development
80〜90年にかけて、どんな経緯でインコグニートの活動を展開したんでしょうか?

バンド自体は、ようやく今年で25周年を迎える事が出来た。 僕が1981年に一番最初にリリースした”ジャズファンク”というアルバムには、 最初の2作のシングル、1979年に”ライト・オブ・ザ・ワールド”というバンドで、 レコーディングした作品も含まれている。 当時はもちろんCDなどないから、バイナルレコードのみだった。 それから〜91年くらいまで、少しギャップがあるんだ。色んな人達が 何故インコグニートの活動を辞めてしまったんだ?とか尋ねて来たりしたけど、 実際には、自分がプロデューサー、作曲家として、沢山のアーティスト達に 楽曲を提供していたからなんだ。そして世界中を旅しながら地道にライブ活動をしてたんだ。 自分自身がイメージして創りたいと思う曲を創るために、様々なスタイルを学んでいた。


そして僕はスタジオワークを通して、音楽を創作する上での経験と知識を得る事が出来た。 当時、僕はソウルミュージックを中心に、 様々なアルバムを聴いていた。その中でも、スティーヴィ・ワンダーの "インナービジョン"や、"ファースト・フィナーレ"、"トーキング・ブック"とかを良く聴いていた。 あと、マ−ビン・ゲイの"What's going on?"とかだね。 僕の思い描く音楽コンセプトとは、生楽器であるドラム、ホーン、ストリングス など沢山いれても、その曲自体の”心”その曲の意味自体が表現出来るような、 それぞれのリスナーの心を掴むようなね・・・。僕自身がプロデューサーとして、 自分が思い描いたイメージの音楽を創る事を達成したい。シンガーのボイス、 生楽器など全てを組み合わせても、その曲自体の中身が失われないようなものを 創りたいと思ったんだ。

●Mid stage development
90年代初頭、ジャイルス・ピーターソンと出会って、自身の活動に どのような影響を受けましたか?

当時は、作曲家として沢山のアーティストと共に活動していた。その中には、 マーカス・ミラーと一緒にプロジェクトをするためにアメリカにいったり、 ブリティッシュ系の様々なアーティスト達とも仕事をしてきた。それにレゲエの マキシー・プリーストなどもプロデュースしていた。様々な経験を通して、 僕自身がすごくダンスミュージック界の方に魅力を感じていて、だんだんと そっちの方へ関わって行く必要があると思い始めていたんだ。そんな時ロンドンの クラブでDJとして活躍していたジャイルス・ピーターソンと出会い、直ぐに彼が僕を ダンスミュージック界へと導いて行ってくれたんだ。そうする事によって、自分が 本当にやりたい音楽を創りはじめるキッカケができた。多くのミュージシャン達 は、ジャズ/ファンク/フュージョンをプレイする傾向があるけど、それらの音楽は どちらかと言うとミュージシャン達のための音楽でもあった。でも自分が本当に やりたかった事は、日常生活の中で、クラブで踊りを楽しむ人々、普段自宅で CDを聴いている人、色々な人たちに聴いてもらいたかった。我々の音楽は、 ミュージシャン達が楽しむだけに限定される音楽じゃなかった。

 

そして、レジェンドともなった、ジョセリン・ブラウンがフィーチャ−されている、 "Always there"をジャイルスのレーベル "Talking laud"からリリースしましたが、 その経緯を教えてください。

自分の数ある曲の中でも"Allways there"は、とても永い間にわたりプレイし続けている 曲のひとつなんだ。90年代初頭に、インコグニートとして、ライブで演奏するようになってから、 ジャイルス・ピーターソンが、"Allways there"のトラックをカットした方がいいよ!と 薦めてくれたんだ。でもジャイルスに対して、僕は、もしもチャカ・カーンがこの トラックで歌ってくれるのならね!?と言い返したんだ。そして僕らはどうにかして、 チャカ・カーンを捕まえて歌ってもらう様に試みたんだけど、彼女の予定が合わずに いると、ジャイルスが、"ジョセリン・ブラウン"が、今ロンドンに来ているよ!って言って、 ちょっと冗談かと思ったけど・・・。もし彼女に歌って貰ったらきっとパーフェクトにフィットする と直感したんだ。そして彼女にスタジオに来てもらって、たったワンテイクでレコーディングが 終わって、あとはヒストリーになるくらいの曲になったんだ。
(笑)

今までに、約1500人以上のアーティスト達とプレイし続けて来ましたが、 インコグニートとして活動する中で、それはどんな意図があったのでしょうか?

今まで、自分がインコグニートをやっていく上で、 いつも自分が心掛けていた事は、 ひとつのバンドメンバーで凝り固まらずに、世界中の色んな国々の文化を持つ人たちと、 コミュニケーションを取る事だった。 当時、僕が感じていた事は、自分のバンドメンバー達がいつも、他のバンドと自分達を 比較して、すごく競争的になっていた事だった。 それに対して、僕がいつも興味を持っていた事は、他のバンドメンバーの、 腕利きのドラマ−や、シンガーなどに出会うと、その人たちと一緒にコラボレーション したいって気持ちだった。他のバンドと競争するなんか事よりもね・・・ そういった中から、インコグニートとしての考え方は、バンドネームにも表れているように、 匿名性を持って、皆が驚くような新しい事を音楽に取り入れて、常に進化して行きたかった。 僕は他の誰とも競争はするつもりはない。しいて言うならば自分達自身が競争相手だと思う。
Bring it on!(かかってこい!) (笑)

いつもインコグニートの音楽には、どんな事に気を遣っていますか?

そもそも我々は、ミュージシャンとしてエンターテインして、 ファンの人たちに喜んでもらうために活動しているんだ。 そこから、自分達が成長するために、メッセージ性を取り除いたもの、 我々は政治家ではないけれでも、政治家が間違った方向に行かないように、 時には、踏み込んでゆく事もある。我々にもボイスがある。 政治家は、自分達のボイスを使って、我々を操作しようとする。 それに対して我々も、ボイスを使って騙されない様にふるまう。だから アーティスト達は皆、ずっとこういう活動をやって来ている。 もし、あなたが、自分のプラットフォームを持って、オーディエンスがいるならば、 あなたは、彼らに対して責任がある。 もし、あなたが何も知らないティーンネージャーで、子供を持つ事になったら、 自分が父親として だんだんと子供に対する責任を理解する事になる。 あなたはひとりじゃないんだ。 年を重ねる事に、より物事を深く理解する事が多くなってくると思う。

How does music make U feel?

日常様々な状況の中で音楽に接するが、スタジオの中では、既にマスターピースを 頭の中で具現化しているので、トラックを仕上げるために集中して仕事をする。 スタジオの中では、自分のマインドにあるものを、最低限テープに落とす作業をして、ストリートに いるファンに届ける。 何か自分のマインドの中で、一定のレベルを超えない曲は、失敗作なので、それは 実現化しない。アーティストとして、プロデューサーとしてね。

自分の家では、音楽は何にでもなるものだよ。自分にとって、良い気持ちにさせるもので あればね。僕の家では、音楽は絶対にBGMとしては、流す事はない。ディナー音楽も 掛けない。いままでずっとそういう音楽には興味が持てなかった。 僕がライブで音楽をプレイする時が、音楽を聴く時でもあるんだ。
僕は音楽をBGMとしてかけた事はなかった。 でも、ただ音楽を家の中でかける時といえば、自分達がベットの中で、メイクラブ している時くらいだよ。(笑)その時には、音楽は二次的なものになってしまうけど・・

あと自分が食事をしている時に音楽をかける事が好きじゃ無い、何かマインドを 邪魔するような感じになるからさ。 それに、自分が手紙とか書く時にも、BGMがあると、気が散って書けなくなってしまうんだ。 なぜなら、僕は音楽をする時はそれだけに、集中していたいからなんだ。感覚としてね。

だけど、ライブで演奏する時が、なにより最高の気持ちを味わう事ができるよ。自分が ライブで演奏する時の精神年令は、五歳の子供になってしまうくらい童心に戻れるんだ。 いつでも、ライブステージに一歩踏み出す時に、僕は五歳の子供になれるんだよ。(笑)

[Supported :Iori Ono, Miho Harasawa @ Blue Note Tokyo、Rice Records London]
[interview & Text by jun ide


インコグニート(INCOGNITO)

 1979年結成(前身は“ライト・オブ・ザ・ワールド”という70年代後半のディスコ/ファンク・バンド)。実際にはリーダーの‘ブルーイ'=“インコグニート”という図式に近い、一流ミュージシャンを揃えた世界最強のアシッド・ジャズ/ファンク・ライブ・バンド。ブルーイによれば、「名前などにとらわれずに色々な音楽をやりたい」という意味から“インコグニート(匿名)”というグループ名を付けたらしい。
リーダーのブルーイの人柄及びその高い音楽性に対して世界各国のアーティスト達の間でも非常にファンが多く、ここ日本でも今年11月末の名古屋ブルーノートの柿落とし ̄クリスマス・シーズンのライヴまで長期間招待されるなど、ブルーノートNo.1アーティストの一つである。
1981年、インコグニートとしての初アルバム『ジャズ・ファンク』をリリ―ス。しかしその後80年代は作詞・作曲活動、及び他アーティストのレコーディングへの参加はするものの、グループとしてはあまり目立った活動は殆どなかった。

1990年代の頭、ロンドンの伝説的DJであり初期のインコグニートの大ファンであったジャイルス・ピーターソンが自身のレーベル“Talkin'Loud”を設立。レーベル立ち上げ時のアーティストとして彼らを迎えた。
1991年にリリースしたシングル「オールウェイズ・ゼア」(ヴォーカル:ジョセリン・ブラウン)がトップ10ヒットとなり、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズと並びロンドン・アシッド・ジャズ・シーンの中心的存在となる。
その後アメリカの人気シンガー、メイザ・リークをフィーチャーした1992年の「ドント・ユー・ウォリー・アバウト・ア・シング」(スティーヴィー・ワンダーのカヴァー)が大ヒット、同曲を収録したアルバム『トライブス、ヴァイブス+スクライブス』はアメリカでもヒットを記録。
続く1994年の『ポジティヴィティ』、1995年の『ワン・ハンドレッド・アンド・ライジング』のアルバム連続ヒットで、その人気を全世界的、及び不動のものとした。日本ではシングル「ジャンプ・トゥ・マイ・ラヴ」がTOYOTAの新型車“RAV4”のTV-CMイメージ・ソングとして使われ、同曲を収録した『ワン・ハンドレッド・アンド・ライジング +1』が95年末に再リリース、国内盤及び輸入盤を合せ優に20万枚を超える大ヒットとなった。
その後現在に至るまで(企画盤を含めると)1年に1枚というアルバムのリリース・ペースは落ちず、長きに渡っていまだに高い人気を保ち続けている希有なグループである。
ちなみに現時点での最新作『フー・ニーズ・ラヴ』では、過去最大のヒット・アルバム『ワン・ハンドレッド・アンド・ライジング』を強く意識している部分もあり、シンガーも当時の女性シンガー(ジョイ・マルコム)を久々に起用するなどの意欲作である。他のヴォーカリストには前作同様ケリー・サエを、そしてタイトル・ナンバーとなるオープニング曲「フー・ニーズ・ラヴ」ではブラジリアン界のスーパースター、エヂ・モッタをフィーチャーするなど他の参加陣も豪華。更には、あのポール・ウェラーもソングライティングとギターで参加するなど非常に話題性も高かった。結果、ここ日本そして本国イギリスでヒットを記録、“過去最高の内容のアルバム”という高い評判で、インコグニートは新たなステージに突入した。そして、それに続く待望のオリジナル・アルバムが今作『アドヴェンチャース・イン・ブラック・サンシャイン』である。 ※Text by Canyon International





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