Sparlha
Swa exclusive
interview 特別独占インタビュー
|
|
|
|
Sparlha Swa exclusive
interview
[Interview & Text by
jun ide]
Supported by matamura@ Village again, ozawa@cotton
club
Early development
●もともとはジャマイカのキングストンで育ち、NYへ移住して家族と過ごしましたが、幼少時代に家族から受けた音楽的影響について教えてください。
私の父親はビジュアルアーティストで、そしてミュージシャンでもあった事から、 世界中の本当に色々なタイプの音楽を、私達に聴かせて育ててくれたの。
それはすごく広範囲に渡り、すごく興味深い音楽だった。 そして父は、私が5才の時にボイスレッスンを始めてくれたんだけど、 実際私はボイスレッスンには興味もなかったし、望んでいなかったの(笑)
それでも、彼はアーティストとして、私にどうやって声を出して歌えばいいかとか、 色々と教えてくれた。 彼はそういう風にして、私にライフスタイルとしてのアート、
そして私のクリエイティビティを開花させてくれる手助け施してくれた。 それは私自身の人生において、非常にヘビィでインパクトのあった 出来事だった。
彼の生き方を見て育った事もあって、音楽以外に、 私が何かしているという事は考えもつかないくらいだった。 それから私は7才の時から、3年間ピアノレッスンを受けるようになった。
そしてかなり後になって、カレッジにいた20才の頃、独学でギターを弾き始めた。
グレードスクール〜ミドル〜ハイスクール〜カレッジにいる間は、 常にコーラスグループに所属していた。 カレッジでは、かなりレベルがあがって、すごく競争的で
選ばれた人達が所属するアカペラグループに参加していた。 その頃に、色々とビジネス的側面を見る様になり、 スキルも高く、プロフェッショナルなシンガー達から、
本当に色々な頃を学んだ。こういった経緯があって、私は現在に至った。
|
|
●ティーンだった頃、どんな音楽を聴いていたんですか?
当時,高校生だった頃は、ラジオで流れるような、ポップミュージックは殆ど 聴かなかった。 私が特に好きだったアーティストは、ビリー・ホリデイで、本当に良く彼女の
歌を聴いていた。そしてニーナ・シモン、シャーデー、トレイシー・チャップマンなども良く聴いていた。 それから後にソウルミュージックや、それにベン・ハーパーとかも良く聴いていた。
そしてワールドミュージックとかも良く聴いた。ブラジリアン・ミュージックの ジョアン・ジルベルト、マリーザ・モンチ、アマリア・ロドリゲス、そして
アフリカンミュージックのアンジェリーク・キジョー、マリアン・マッキーヴァーとか・・・
私が音楽を聴き始めた頃には、ビリーホリデイと マリアン・マッキーヴァーの、 2枚のレコードしか持っていなかった。
|
|
●ギターを弾くキッカケについて
一番最初にギターを独学で習い覚えた曲は、たしかExtreamっていう グループの曲で、"Saying I love you "だったと思う。
それからすぐに自分で作曲するようになっていった。なぜなら 私は楽器を演奏する以前に、詩を書く事が出来たから。 自分の頭の中に沢山イメージしているリリックに、メロディーをつけて
いって、インストルメンテーションしたかった。 そうやってギターを独学で覚えて、どうやってそれぞれに盛り込んでゆくかを やっていった。だから、カバーソングを習い覚えることを、スキップしてしまったから、殆どカバーは弾けないの。(笑)
|
|
●大学卒業後、ベイエリアでシンガーとして本格的に活動した経緯について
私はスタンフォード大学を卒業してすぐに、オークランドにあるライブハウスで パフォーマンスを始め、そこは自分の音楽を試すには最適な場所で、
すごく良い経験になった。 ベイエリア自体が、私がやっているような音楽に対してオープンで、すごく サポーティブな環境だったから、すぐに沢山の人々が私の音楽に耳を傾けてくれ、デモCDを買ってくれるようになっていった。
本当に沢山の人々が手助けしてくれて、ビギナーズラックっていう感じだった。 私の曲を聴くなり、フリーレコーディングタイムのオファーを貰ったりもした。
そしてどういう風にして、プレスキッドを作るかとかも教えてくれた。 それに沢山のミュージシャンとも出逢って、私と一緒にプレイしたいとか 言ってくれたりしてくれるようになり、だんだんとパフォーマンスする
機会を増やした。結果的にはパートタイムジョブをやめて、フルタイムで 音楽をやる事を決心し、1年半は集中してやった。他の人々と比べると、
私の音楽キャリアは、すごく豊かに形成されていったと思う。 私がパフォーマンスを始めた頃は、オークランドにある、ジャバハウスって いうところとか、パレスアーツとか、スターリプラウとかで演奏していた。
そして、私が一番最初にギターを弾いてステージに立ったのは、 コロラドにあるペニーレインというライブハウスだった。 それらは、すごく小さな場所で、コーヒーハウスみたいな所だった。
|
|
Mid stage development
●なぜNYへ活動拠点を移したんですか?
もともと高校時代まではNYで過ごし、その前はジャマイカに10才頃まで住んでいた。その後、ベイエリアに移り住み、スタンフォード大学に通うようになった。
実際7年間はNYに住んでいて、自分のファミリーは、今でもNYに住んで居る。 卒業してから、しばらくベイエリアで活動した後、 音楽をやるのなら、NYにはより多くのチャンスがあると思ったから、NYへ戻ったの。
より多くのベニュー、ライブハウスがあり、私のバンドもいるし、 プロデューサーもいるし、NYには、ものすごいエネルギーが溢れていると思う。
沢山のアーティスト達は、自分達の夢を叶えるために、ハッスリングして、 彼らのエネルギーが伝染するくらいパワーを持っている。 もし自分がその中に囲まれている環境にいるのなら、
NYに居る限りインスピレーションやモチベーションは下がる事はないと思う。 本当に沢山の人々は夢を叶えるために、成功を追い求めているところなの。
|
|
●NYで人々はあなたの音楽に対して、どう反応しましたか?
すごくポジティブに受け止めてくれていると思う。 2004年9月〜約半年くらいかけて、私はジョイスパブで ヘッドラインを務める事が出来たんだけど、自分にとって、
カフェから、きちんとしたベニューでパフォーマンスができる様に なっていって、すごく大きなステップだった。 皆すごくサポーティブで、本当に沢山の友達にも出会えたし、
インダストリーとも、良いコンタクトも増えた。 NYには、沢山の黒人達がいて、黒人の伝統的な音楽ではない、 パンクやオルタネティブミュージックとかやっている人も多く、
黒人女性である私が、オルタナティブミュージックをやっている事を 既成概念に囚われないで、人々に理解して貰えて、すごくサポート してもらっている。
|
|
●人気番組である、BETJ Soul Sessionsで、あなたのミュージックビデオが高評価を得ましたが、
どんな風に作品を作ったのでしょう?
この機会を得るにあたって、すごく良いコネクションがあって、 個人的に仲の良い友達のジョージ・リトル・ジョンという人がいて、 彼はソウルアーティストである、アンジェラ・ジョンソンのマネージャーを務めている。
彼はBETJのスタッフを良く知っていて、ある日私がインディペンデントアーティストの ビデオ応募について尋ね、すぐに私のミュージックビデオを送った。
すごく笑える話で、実は私と弟と友達といっしょに、そのミュージックビデオを作ったんだけど、バジェットはたったの200ドルだった(笑) ほとんどのミュージックビデオは、何千ドル、何万ドルっていうバジェットをかけて、企画、編集、セット、ライティング、スタッフとか、豊富なリソースを使って作られているなか、
私達は、NYの地下鉄を利用して作ったの。Fラインに乗って、全部で2hくらいで撮影を終え、プロのエディターでもある、私の弟が編集してくれた。
本当にローバジェットのプロジェクトだったから、私自身BETJに対して、そんなに期待はしていなかったんだけど、彼らはSoul Sessionsで、私のビデオを選んでくれて、それ以来4月から10月にかけて6ヶ月間くらいテレビで放映してくれたの。すぐに反響があって、CD売り上げも予想以上にあったし、ジャマイカにいる友人やロンドンにいる友人達からも連絡もらったりして、すごく嬉しかった。
|
|
RECENT WORKS
●デビュー作である"In the Distance"をリリースする経緯と、ヒップホップアーティストである
カルロス・メナとのコラボレーションについて教えてください。
カルロス・メナとは、ベイエリアのシーンで知合ったの。 彼はヒップホップアーティストで、当時私は色々なプロデューサーを 探していたんだけど、色々な人から、彼の名前と評判を聞いていた。
それから彼と会う機会があって、二人でじっくりと色んな話をしたの。 彼にとっても一番最初のプロダクションプロジェクトになる事もあり、 すごく興味を持って、色々な事を試してみたいって事ではじまった。
それから9ヶ月間くらいかけて、彼のホームスタジオでレコーディングして、 すごく便利だった。何故ならいつでもスタジオにアクセス出来たから。
そしてこの作品は、共同でドン・ワシントンとプロデュースする事になった。 彼はミュージシャンで、彼の持つ色んな経験やアイディアを作品に取り入れてくれ、
ミュージシャンシップで、どの楽器がどういう風に曲にフィットするかとかを考えて くれた。 私とカルロスの二人はそれぞれ忙しく駆け回っていた。
彼はものすごく沢山ツアースケジュールが詰まっていて、常に出っぱなし の状況の中で、私はベイエリアを中心に、NY、ロンドンとかで、 ギグをやっていている中で、どうにかこうにか、アルバム制作する事が出来た。
彼はいっしょに働くにはすごく良い人だと思う。なぜなら彼はすごく 誠実だから。 何かやろうとしたときに、それは出来る出来ないという事を 正直に対応してくれたから。それに彼にはヒップホップのバックグラウンドが
あったから、彼はすごくバランスがとれていたと思う。 私の音楽だけだと、どちらかというと”フォーク”になってしまうから、 彼はそこから、よりソウルフルに仕上げてくれて、より聴き心地良い
音楽にしてくれたの。
|
|
●"In the Distance"のコンセプトについて
この作品を作るにあたって、レコーディングが出来るレベルのものを、 たしか20曲くらい書いたんだけど、その中で私自身が本当にベストだと 思った曲をいくつか選択した。カルロス・メナもいっしょに曲選びを
手伝ってくれた。 私がレコーディングしたかったものは、アコースティックミュージックの ファンデーションがあり、少しだけシンセドラムとかエレクトロニックの
要素があって、アコースティックな感覚があるものだった。 今作を作るにあたって、テーマ、ビジョンとかを持ったアプローチでは 無く、それぞれの曲の良いところを際立たせてみたかった。
そしてアルバムに収録されている、すべての曲がそれぞれにマッチするように 気遣った。私にとって一番大変だったのは、曲名を決める事だった(笑)
本当に気が遠くなるくらいだったわ。約100くらいの名前候補があって、 そのうえ曲順を決める事も大変だった。 普通はそんなに難しい事じゃない事でも、私にとって大変な事だったわ。
|
|
●今作の1曲目に収録されている、"Love
Addiction"は、全米放送されている人気ドラマ"Girlfriends"でも挿入歌としてライセンスされましたが、この曲ではどんな事を伝えたかったのでしょう?
以前、私にはいくつかの親密なリレーションシップがあった。 皆、恋愛関係から何かを学ぶと思うんだけど、私もそこから色々と学んだ事があった。
1つ目のリレーションシップは、付き合いが長過ぎだった感じで終局し、 もうひとつのリレーションシップは、感覚的にはもう終わっているのに、
まだ気持ち的に踏ん切りが付かないような気持ちになっていて、 そういう状況の時には、長い関係を持っていた人の方がいいように 思えるんだけど、そういった事をリリックの中で表現したかったの・・・
●アルバム制作で大切にしたかった事とは?
音楽をやることで、私にとって一番大切な事は、 本当に自分が表現したいことを、きちんと表現しているという事。 自分の魂からの真実の叫びをきちんと表現しているか?
私の音楽を通して、セ−ヴァーとなって欲しい。セ−ヴァーとは ヒンドゥーイズムのタームで、人々に対するスピリチュアルサービスの事。 私だけの為で無く、他の人々に対しても、様々な困難を乗り越えて、
それぞれの人生の目的に近付くため、音楽を通して精神的な成長をサポートしたい。 そして創造のプロセス、それを他の人々へ提供し、自分自身もアーティストとして
精神的な成長をしていきたい。 そして他の人々を通して、様々な困難、チャレンジなど、自分が対峙して シンガーソングライターとして活動する中で、日々の小さな経験を通して、
自分自身が精神的な成長を遂げたい、それは他の人々にとっても同様にあってほしい。
●今作で一番思い入れのある作品について
この作品の中で一番好きな作品は、"Love Addiction"だと思うわ。 なぜなら、この作品の事について、いつも他の人々に対して
話す事が多いし、それにこういう出来事は、すごくよくある 悩みごとのひとつでもあり、沢山の人々が乗り越えているしね。 人によっては、恋愛関係に頼ってしまっていることもあるし、
それを乗り越えようとしている人たちを治癒してあげたいって思いもある。 この作品を通して、多くの人々に”気付き”を与えてあげたかった。 それに、コード進行が少し変わったジャズのモードコードだから、
この曲を奏でるのがすごく楽しいし、ベーシストと一緒にプレイするのが とても楽しいわ。
|
|
●次ぎのプロジェクトプランについて教えてください。
私は、いますぐにでもレコーディングができる状態で、 10〜11曲くらい完成した所なの。 いま、この作品に合うプロデューサーとスタジオを探している
所なの(笑) 次作はどちらかというと、ロック、オルタネティブな方向性をもっていて、 「In the distance」は、ジャジーでブルージーな感じだけど、
次作でも、アコースティックファンデーションは取り入れ、 少しエレクトロニック要素も取り入れている。 さっきも話したけど、各曲に名前をつける事がすごく大変で、
毎週毎週、曲名を付け替えてしまうくらい(笑) 年末くらいには完成させようとしている。
●もし、コラボレーションするなら誰としたいですか?
カハラ・ラミュアっていうアンダーグラウンドのアーティストで、 本当に素晴らしいアーティストで、マルチインストルメンタリストで、 セルフプロデュースも出来る。
実際に、いま彼に参加して貰える様に働きかけているところなの。。
|
|
● How does music make
U feel?
音楽で最も美しい事は、非言語によるコミュニケーションであり、 我々はいつも自分の感情を<言葉>というボックスにいれて、 コミュニケーションしていて、音楽はそういうボックスを
壊し、そのコンセプトやアイディアを打ち壊すものだと思う。 自分の感情をコミュニケーションする場合、あなた自身でも どういうフィーリングなのか、どう表現するのか、どうピンポイントで
説明するのかとか、そういうことを打ち壊せる事が音楽の 一番美しいところだと思う。 自分自身の一部分を見せること、そして音楽はそういう色々な感情を
表現してくれるものだと思う。表現するの難しいけどそれが音楽の 一番美しいところだと思う。
●ファンにメッセージをどうぞ!
ひとりひとりの個人はアーティストであり、それぞれは音楽をクリエイトできるし、クレヨンで絵を書くとことができるし、壁画を描いたり出来る。
人々にとって、クリエイティビティはすごく癒しになり、ひとりひとりがクリエーター になることは、我々にとってすごく重要なことだと思う。
ぜひ私のアルバムを買って、私のMYスペースにあるページ もチェックしてね!
|
|
|
|
|
|
|
|
●スパーラ・スワ http://www.sparlhaswa.com
ジャマイカのキングストン生まれで 生後4ヶ月から17年後にスタンフォード大学を卒業するまでに8つの州と3つの国を行き来したという、スパーラ・スワ。そのコスモポリタンな経験は彼女の音楽に大きな影響を与えている。フォーク、ソウル、ブルース、ロック、ラテン・ジャズ、ブラジリアン、アフリカ音楽と古典的なインド音楽など様々な音楽が彼女の音楽の中に影響を与えているのだ。
スパーラの音楽の良き指導者には、シャーデー、ビリー・ホリディ、ニーナ・シモン、ジョニ・ミッチェル、アストラッド・ジルベルト、ラビィ・シャンカール、サリフ・ケイタ、ミリアム・マケバであり、最近ではレディオヘッド、ジェフバックリー、リズ・ライトが挙げられている。
スパーラはハイスクールとスタンフォード大学在学中にパフォーマーとしての経験を積み、同時にソングライティングのスキルを高めていく。やがて ベイエリアのインディー・シーンでは大きなリスペクトを集めていく存在となっていく。
注目される存在となっていった彼女はHip Hopのアーティストでありプロデューサーのカルロス・メナの「In the Distance」という彼女のデビュー・アルバムの制作にとりかかっていく。このアルバムの完成後の2004年9月には、カリフォルニアからNYCへ移って、シャム・ダス(ドラムス)、クワーメ・ブラント-ピアース(ピアノ)、アレックス・ヘルナンデス(ベース)と彼女のバンドを結成する。その鮮烈なステージングで1年たらずで、Joe's
Pubに満員の観衆を集める様になっていく。 アルバムは彼女自身のレーベルでリリースされ、プロモーションなどが満足におこなわれない状態ながらイギリス、日本、そしてアメリカ、カナダと好反応を得ることになる。
そしてサウンドトラック"Flavio"の収録曲でピートロックと共演を果たし、全国区のTV番組「ガールフレンド」にはアルバムから2曲の曲(Love
AddictionとToo Late)が使われ、好評を得る事となる。 スパ−ラのステージは彼女の魅力的な歌声をメインに 時としてソロでギターを弾きながら、ある時は彼女のバンドをバックにジャズやラテンに根ざしたエクレクティックなサウンドと共に、愛や生命、そして人間のスピリットの持つ可能性について歌っていく。多くのオーディエンスはジャンルを越えた彼女の音楽に魅了されていく。
|
|
|
[Interview
& Text by
jun ide]
Supported
by Matamura@village again, ozawa@cotton club
|
|
In order to view those video contents, must need
to have RealMedia player 8.0 above, plus must have ADSL or Cable Modem access
at 500k/sec above.
All contents are produced
by iMedia24.tv Japan under permission by artists. These contents are only
use for artist promotion purpose. Please do not reuse or edit
these video contents without permission. If you have any question, please
contact with us. >>Contact