Jeff
Milligan 07/05/2002
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#01 まずどのようにして、音楽活動に携わっていったのでしょうか?
僕のミュージックバックグランドは、14才の時DJを始めて以来、
仲間達でイベントを企画してトロントを中心に活動していたんだ。
そして自分が16才の時に自宅スタジオにサウンドシステムを構築し、
20代半ばからは、オーディオエンジニアリングを本格的に勉強しはじめ、
アコースティック エンジニアリングを専門に研究したんだ。卒業後には自分の
独立系レコードレーベルを主宰したんだ。自分が学校へいっている時は
ミュージックセオリーから、サウンドエンジニアリング、オーディオエンジニアリング、
アコースティック エンジニアリングを勉強した。それが自分の音楽的な基盤となった。
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#02 1988年の当時16才の時どういう経緯でウエアハウスのパーティでDJとして活動をしたんですか?
その当時、自分はトロントで数少ないハウス/テクノ系のDJだったんだ。実際に自分のDJスタイル
に基づいたDJを実行していた。よくシカゴとかデトロイトへ行って、
イギリスから入ってきた初期のアシッドハウス系のレコードとか買ってたね。
それと地元でよくウエアハウスパーティが行われていて、
そこでサウンドシステムを担当していた仲間たちの誘いで、
当時たまたま自分が数少ないハウス/テクノ系のDJだったから、
自分がそこでDJをやる事になった。サーキットでなくね、でも後々レイヴシーンでもプレイする
事になっちゃったんだ。そんな感じでこの道に入っていったんだ。
当時自分はミニマルテクノでは、本当に数少ないDJだった、う〜ん、あとはリッチー
ホートンくらいかな?? 自分はちょっと早くはじめただけなんだけど、
本当に若かったな。
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16才だった当時、法律的にクラブへ入る事に問題は無かったんですか?
自分が若い時の話ね。。イエ〜(笑)、
実際にリーガルに入場できる以前に自分はパーティでプレイしてただけなんだけどね。。
基本的にはアルコール類は飲めない事だったんだけど、自分が尊敬していた先輩DJが
こっそりと僕にビールとか持ってきてくれて、DJブースの下で飲んでいたよ。
その会場で自分が一番若かった筈だよ。
ウエアハウスパーティに出かける時には、自分の両親に嘘をついてまでして、プレイしに
いった。仕事後はダウンタウンの知り合いの所へ行って寝かせて貰ったりしてね。
でもたまにどこも泊まる所がない時なんかはストリートで寝た事もあるよ(笑)
自分はすごく若かったんだね。
しかし、ウエアハウスパーティがだんだんと下火になってきて、初期のクラブもそうだったけど。。
両方でよくプレイしていたよ。
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#03 その当時のオーディエンスの反応はどうでした?
当時自分は初期のハウスミュージックのコンビネーションに
はまってたよ。初期のUKシーン、アシッドハウス、デトロイトテクノなんかだね、
殆どの人達に受け入れられてた。特にハウスシーンにはね。初期のトロントのクラブシーンでは、
1/3の割合で黒人、白人、アジア人で、彼らが最も影響を受けていたのは、やっぱり初期の
アメリカンハウスミュージックだったと思うよ。でも自分がプレイしていたのは、
ちょっと変わっていて、UK・シェフィールド・シーン、マンチェスター・シーン、それとジャーマンテクノなんかだったよ。でもトロントのウエア・ハウスシーンでは、自分のスタイルは少し異国風に見られていた。
何故ならその殆どがハウスハウスハウスだったからさ。初期のレイヴシーンが始まった頃、だんだんと
規模が大きくなっていって、自分はすぐに興ざめしてしまった。それ以来、自分のDJキャリアが
一時的に沈んでしまったんだ。もうDJをやめるとまで考えていたよ。もうああいうタイプのイベントに
疲れてしまったんだけど、ミニマル・テクノが一つのジャンルになりシーン
として確立され始めるまではね。。自分がそのシーンを大規模イベントとは切り離して
展開していったんだ。
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#04 新作”コンポージャー”をリリースする経緯は?
友人なんだけど、ドイツにある”フォース・インク レコーディングス”
があって、北アメリカ拠点では元々NYにオフィスがあったんだけど、最近
拠点をモントリオールに移したんだ。そして”フォース・インク ミックス”を手がけた
ジョン アクイディバ、それとアンドリューが4thトラックミックスをまとめていたんだけど、
新しいリミックスをまとめるエンジニアが見つけられず、自分の所に
話が回ってきたんだ。その時、ディレクターがこれまとめられるか?と聞いてくるので、
もちろん出来るよと答えたんだ。そしたら彼が制作条件を出してきて、君には
2週間あげよう!と言ったんだ!自分は驚いて、えっ、2週間しかないの?と問いただすと、
彼は、そう2週間で全部のプロジェクトを完了させて欲しいと言って来たんだ。
でも”フォース インク”のカタログには、たった10リリースしかトラックがなく、
リミックスするのには十分でなかったので、今回は敢えて、そのマテリアルを利用して
ノンリニアでループベースのプロジェクトにするよう提案したんだ。
それから2週間はずっと16時間働きずめで、自分の指でマウスをクリックすることに
疲れるまで続け、最終的にはそのプロジェクトが無事終了したんだけど、、、
その当日は飛行機に乗ってオーストリアのビエナへDJの仕事で行く事だったので、
マスターまではスケジュールの都合で終える事が出来なかった。
そこで自分のレコード・レーベル パートナーの マイク・シャノンが僕の代わりに
彼所有のプロツール・システムでマスターを終わらせてくれたんだ。それで
彼はマスタリングした全曲をMP3に変換して、ネットを通じて自分に
その仕上がりについて尋ねてきたんだ。それを聞いてすぐに、OKを出し、
彼にそのマスターを即ドイツへ送るように指示したよ。それでどうにか
その短いタイムラインの中でプロジェクトを完了したよ。通常なら
1曲に1か月半かけたりするけど、今回のアルバムは2週間で仕上げたんだよ!
でも、すごくいい感じに仕上がったから安心したよ、いつもなら少し神経質になったりするけどね。
このプロジェクトの途中では自分が半分くらいリミックスしたファイルが何らかの理由で
壊れてしまって、どうしようもない状態になったりして、一時は冷や汗ものだったけど、
色々と修復方法をリサーチして、そのピンチを抜けだせたんだ。でもすごく複雑な作業だったけどね。
そのアルバムには6アーティストを中心に、数曲ずつリミックスして、その中にも
自分の独自のインストルメントのベースドラム、スネアサウンドを付け加えたりして、
沢山のオーディオ・エンジニアリングの手法を絡めてね。その中のサンプルなんかは
ピッチを変えたりして、フィットするように調整し、他のトラックに調和できるように
した。あのプロジェクトはとにかく重荷だったよ。最低でも60に及ぶミックス
ファイルをバウンスしたよ。それに3、5つある各フォルダーには300ファイル以上
のサンプルがあって、本当に複雑なプロジェクトだった。
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#05 自身のレーベル”リボルバー”のコンセプトついて、
リボルバーは要素的にはカナディアン・アーティストが中心だけど、
一人はスイス、もう一人は日本から予定がある。フミヤ タナカは僕の気に入っている
アーティストだよ。実際に最近リボルバーで彼の楽曲をライセンス契約したんだ。
トリマレコーズね。
”リボルバー”を創設したのは、自分がオーディオ・エンジニアリングを
修了してからさ、それで何で”リボルバー”ってつけたか?っていうと、
自分が中学生の時、音楽授業の教室の壁に張ってあるビートルズの
”リボルバー”アルバムポスターに取りつかれてたんだ。
何故か僕は音楽担任にはすごく嫌われていて、(笑)たぶん自分が聞き分けのいい
標準的な生徒とは異なっていたからかな?それで結局その音楽クラスから
追い出されてしまったんだ。で、その時その先生が、あなたは絶対に音楽での
キャリアは不可能よ”と言い放った。何故ならあなたにはリズム感がないし、
音感は無いし、とにかく全く能力がないわよ!と、その時彼女に皮肉笑いをして
教室を後にしたけどね。今度その先生に自分のレコードパッケージを
送り付けようと思ってるけどね。(笑)
それともう一つの理由は、”リボルバー”#1では殆どサンプルを使用して
ブレークビーツを作曲したんだけど、、実はビートルズの曲をサンプリングしてるんだ。
自分の曲のオリジナルの殆どがビートルズから来ているんだ。例えば
”ブラックバード リミックス”とか、”ヒヤ カムズ ザ サン”
とかだけど、どれがビートルズのサンプルなんだか絶対に分からないくらい
加工しているからね。そして”リボルバー5”も、数々のビートルズ
サンプルを紡ぎ併せたり、ビデオのサンプルとかね。それをラジオ エイディット
バージョン用にね。でもね、自分達は本当に原版がわからないくらいに
加工しているから、絶対にどれがどの音楽からなんて、言えないよ。
もしイコライザーを上手に調節して行くと、少しだけそのソースがどこからか
分かるかもしれないけどね。とにかく自分はビートルズが大好きなんだ。
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#06 トーンメディア・プロジェクトについて、
トーンメディアは、1998年に自分が仲間達と創設したアーティスト・オーガニゼーションで、
洗練されたノンコマーシャルなエレクトロニック・ミュージックのグローバル規模の
コミュニティ。拠点はトロントで、それに参加していたアーティストは
シカゴ、デトロイト、NY、サンフランシスコ、、このコミュニティがあったから、
”スー・テック”とも出会えたし、、、本当に沢山の人々とメールで何年もやりとりして、
結果的に皆で一つの音楽コミュニティをつくり、音楽を互いにクリエイトする事ができた。
でも自分がこれで何をやったか?とか、自分達が新しいジャンルを創造したとかは言いたくないけど、
確かに自分達はノースアメリカで、何か新しいスタイルを作り出したと思う。当時はすごく
自分にとって重要だったよ。でも今では自分が忙しくてあまり関与してないけど、
そのコミュニティー自体が一人あるきしている状態だよ。今でもそこに参加している人達は
新しいテクノロジーを使って、ファイルシェアリングして、色々な音楽関連の情報交換している。
それとは別にデトロイトにある”313”というサイトでは、
特定の人種の人々が参加していて、よりデトロイトテクノ色が強い。
自分達のトーンメディアは、313とは、別のテクノ系コミュニティになるんだ。
あとは、”テクノ・ウエスト”というコミュニティがあって、それはノースアメリカの
ウエストコーストを代表するもので、バンクーバー、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、
ロスアンジェルスまで、カバーするけど、ほとんどの参加者は、最終的にはトロントにある
”テクノリスト”に参加しているんだ。
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#07 次のプロジェクトについて、
それは、ミキサーデザインだよ! 自分にはDJコンセプトがあるんだけど、
まだ構想中だから、詳細は言えないよ。
自分の企画しているDJツアーは、テクノロジーを中心とした
コンセプトを基盤としたものになるんだ。#08 音楽について、
自分にとってミュージックとは、人生を動かして行く最たる動機づけが出来るもの。
何故自分が音楽に入り込んでいるのか?というと、自分が好きな音楽自体はいろんな影響を
自分自身にあたえるんだ。ん〜、わかんないけど、多分殆どの人たちがセックスをする時に
感じる事と似たことなんじゃないかな?(笑)音楽は自分にとって、最高の動機づけができるものさ。
自分はDJとして、新しい音楽を創造して、パフォーマンスして、、音楽は何よりも
自分を最高にもてなしてくれるものなんだよ。自分はすごく感情的に音楽と一体になっているんだ。
時には自分を泣かせてくれるよ。
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#09 日本のファンへメッセージをどうぞ
今度僕のイベントに会いにきてね!
今回初めて日本へ来たけど、もう東京、京都は最高な場所だよ。
またいつか日本へ戻って来たいよ。それに僕の音楽とキャリアをサポートしてくれている
多くのファンの人達に敬意を示します。ずっと僕の音楽を好きでいてくれる事であって欲しいな。
それと、いつか、日本のアーティストが自分のレーベルに所属する事が出来ればいいね。
殆どの専属アーティストがカナディアンだからね、日本のアーティストと協力したいね。
だから、日本のプロデューサー、アーティストの方達、どんどんデモを送ってくださいね!
すごく聞いてみたいんだ。いつかこちらでリリースしたいと思います。
ありがとう。
[取材協力:Josh
Child, Eiji Fukuda、text by Jun Ide]
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